がん集学的治療研究財団・理事 読売新聞東京本社医療ネットワーク事務局次長 (元:読売新聞東京本社編集局社会保障部次長) 本田 麻由美
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超高額な抗がん剤「オプジーボ」の登場は、高齢化で膨らみ続ける医療費に頭を抱える国や医療関係者らに「このままでは公的医療保険が崩壊する」という危機感を新たにさせただけでなく、一般のがん患者・家族にも波紋を投げかけている。
「この新薬は、私にとって大きな希望だ」。横浜市の長谷川一男さん(45)は、取材に対し、そうきっぱり話した。
妻と2人の子どもと暮らす彼は、2010年2月、ステージⅣの肺腺がんと診断された。ここ数年、肺がん治療は大きく進歩してきたが、ALK 融合遺伝子、EGFR 遺伝子変異のいずれも認められなかった彼には、従来型の治療しかない。これまでに5thライン・8剤の治療を終え、継続する体力もある状態だけに、「もう次の手がない」と告げられることが最も怖いという。
そこに、昨年12月、オプジーボが肺がんに保険適用された。治療が難しい進行・再発肺がんの生存率(1年間)を従来薬の39%から51%に押し上げたという効果に、「自分のように“取り残された”肺がん患者にとって、何よりの励みになる。子どもたちのためにも頑張ろうと、気持ちまで前向きになった」と期待を膨らませる。
その気持ちは、私にも身にしみる。私自身、2002年に34歳で乳がんが見つかり、局所再発も経験し、3度の手術に放射線、抗がん剤、ホルモン療法と10年間、治療が続いた。治療ができることが有り難く、現在のところ再発もなく普通の生活ができていることに感謝している。だが、長谷川さんと同じ状況の“がん友”もおり、いつ、それが自分事になってもおかしくないとも認識している。
「新薬」は、そうしたがん患者・経験者にとって希望の光に感じられる。私が乳がん闘病を始めた当時、抗がん剤の「ドラッグ・ラグ」が社会問題だった。欧米で標準治療として当たり前に使われている薬が、日本では使えない。当時、私の“がん友”たちは、そうした薬剤の早期承認と正しい治療情報の提供を求めて活動を展開し、社会を動かし、2006年の「がん対策基本法成立」へと導いた。日本でも国際共同治験ができるような環境を整備し、欧米諸国と時間差なく「新薬」が使えるようになることが、一つのゴールだった。
だが、事情は変わりつつある。確かに、関係者らの尽力のおかげで、新薬に関してドラッグ・ラグは縮まった。医学研究も進み、がん治療薬は進歩し、国内で使える薬も増えた。
問題は、その費用の高さだ。
オプジーボの場合、月2回の治療で薬剤費だけで年3500万円にもなり、全国の進行肺がん患者5万人が1年間使用すると、年間の薬剤費は1兆7500億円に達するとの試算が公表されている。実際にはそれだけの人が使うとは考えられないが、その額は医療機関で処方される薬剤費の年間総額(8.5兆円)の2割にも達することが、社会に大きな衝撃を与えた。患者負担は高額療養費制度で数万~数十万ですむが、医療保険財政の破綻が叫ばれ、医療界からも「数か月や1年の延命にかける費用をどう考えるべきか」との意見が出るようになった。それは、長谷川さんのような現役世代の患者には、ことさら厳しい言葉に響くだろう。私自身、社会保障や医療問題の取材記者としては必要な議論だと思っているが、時折、乳がん患者・経験者としての自分が顔を出し、胸が苦しくなる。
国は現在、緊急的に薬価を引き下げる議論のほか、既存薬との価格差が延命や生活の質の改善などの効果の差に見合っているかどうかをみる費用対効果評価の分析を進めている。ただ、今後も高額な抗がん剤が続々と登場すると見られており、国立がん研究センターが今後、日本に入る可能性がある海外のがん治療薬の1か月の薬剤費を調べたところ、1900万円を筆頭に100万円を超す薬が23種類もあった。
こうした状況を、日本はどうしていこうというのか。患者たちは注視している。今でも各地のがん患者団体からシンポジウムや講演を依頼されることがあるが、最近は必ず、「高額な抗がん剤問題がどう動いているのかという点も分かりやすく講演の中で説明してください」と頼まれることからも、切実な思いを感じる。
皆保険制度は、患者にとって命綱だ。だからこそ、「今、病気と闘い、治療に希望をつないで一生懸命生きている患者の思いを踏みにじらないでほしい。効果が期待できる人から薬を取り上げるような方法ではなく、医療全体を見渡し、国民的な議論をしてほしい」と、長谷川さんは訴える。
その一つには、薬の組み合わせ方や、どういう患者に本当に効果が期待できるのかなどの研究を進めていく必要がある。当財団にも、そうした点で何らかの役割を担えるのではないかと期待したい。加えて、日本では、複数の持病を抱える高齢者に過剰な投薬が行われ、副作用で体調を崩したり、大量の飲み残しが発生したりする問題も起きている。種類の多い高血圧や高脂血症などの治療薬に対し、高額な新薬を使う人を限定せず誰にでも処方する傾向にある。超高齢社会を迎え、本当のリスクに対応できる皆保険制度にしていくためにも、そうしたムダを医療界全体で見直す覚悟をお願いしたい。同時に、患者・国民の意識改革も含め、私自身、メディアの一員としての役割を果たしていかなければと肝に銘じたい。
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